歴史
ファイル:琉球那霸港.jpg/thumb/200px/琉球王国時代の那覇港
ファイル:Mie Gusuku.JPG/thumb/200px/那覇港の先にあった三重城
ファイル:Tsuji area in Pre-war Showa era.JPG/thumb/200px/昭和初期の那覇・辻地区
ファイル:View of Naha in the beginning of the 20th century.JPG/thumb/200px/20世紀初頭の那覇市
ファイル:Kokusai Dori in early 1950s.JPG/thumb/200px/1950年代の国際通り
=琉球王国時代=
那覇は
国場川河口の港で、安里川河口の泊(とまり、現在は那覇市の一部)の港とともに、古くから
琉球王国の
首都・
首里の貿易港として、
東アジアや
東南アジア一帯の中継貿易拠点として栄えてきた。
かつて那覇は国場川・安里川の河口の湾に散在した島々で、その一つの浮島は
尚巴志王によって小さな港が整備されていた。
1451年、
尚金福王が
明からの
冊封使を迎えるため、中国人の懐機に命じて「
長虹堤」と呼ばれる長さ1km に及ぶ堤道を建設させて沖縄本島の安里川側と繋いだ。陸路交通が整備されたことから港としての発展が始まり、那覇四町(西・東・若狭・泉崎)と呼ばれる市街地が形成された。
近くの
久米 (那覇市)/久米村には中国・
福建省などからの「閩(びん)人三十六姓」(
久米三十六姓)と呼ばれる移民が住み、これら三十六姓の末裔は、進貢使・通訳・造船など琉球の貿易と外交を支える仕事に従事してきた。
また
倭寇などの襲撃からの防御のため、那覇港沖の海上にある島に城壁を築いて堤道を作り、国場川河口の那覇港の南北に防御用の砲台「三重城」(みえぐすく)「屋良座森城」(やらざもりぐすく)が完成した。同時に、那覇港の中央の島には御物城と呼ばれる貿易用倉庫が造られている。さらに那覇港の対岸にあたる南側の垣花などにも市街地や港湾が広がった。(那覇港の南岸は
第二次大戦後更地になり、米軍の
那覇港湾施設/那覇軍港となっている。)
久米村、長虹堤、三重城など那覇の名所は中国人により「球陽八景」と謳われ、
葛飾北斎の
浮世絵「
琉球八景」にも描かれているが、島だった那覇は土砂の堆積により琉球王国末期には本島につながっている。
琉球処分から第二次世界大戦まで
近代以後も沖縄県の物資集積地、商業都市として繁栄し、海が埋め立てられ那覇は完全に地続きとなった。だが、
1944年10月10日の
十・十空襲と、1945年4月から始まる
沖縄戦により市街地は完全に破壊された。
*
1879年(
明治12年) -
沖縄県庁を設置。以降沖縄の行政の中心に。また、それまで那覇四町と呼ばれていた西・東・若狭・泉崎へ、新たに泊・久米・久茂地を編入。
*
1896年(明治29年) - 沖縄県区制の施行により、那覇区となる。
*
1903年(明治36年) -
島尻郡真和志
間切から牧志村、小禄間切から垣花地区(湖城村と儀間村の一部)を編入。
*
1908年(明治41年)
4月1日 -
島嶼町村制施行に伴い、周辺の各間切が町村に。
*
1914年(
大正3年)- 島尻郡真和志村から壺屋地区を編入、新規埋立地を旭町と命名し編入。
*
1921年(大正10年)
5月20日 - 特別区制を廃止し、
市制を施行して那覇市となる。
*1921年(大正10年)
12月19日 - 市章を制定する
[図典 日本の市町村章 p239]。
*
1945年(
昭和20年) -
太平洋戦争での空襲および陸上戦(沖縄戦)により街が壊滅。
首里城も破壊された。米軍の全面占領下となり、立入禁止に。
第二次世界大戦以降
戦後は、旧那覇市中心部は米軍の管理下に置かれ、軍施設から1
マイル以内は立ち入りが許されず、住民の多くは県北部の収容所に移されていた。生活物資不足の解消のため、
1945年11月、那覇市
壺屋焼/壷屋地区の窯業関係者たちがまず帰郷を許され、103人の職人が入市。さらに12月には牧志地区の瓦職人ら136人が入市した。続いて家族や親類縁者が移り住み、これにまぎれて許可のない住民も次々と那覇に住み着いたため、壷屋から新県道(現在の
国際通り)の一帯に次々と集落が生まれ、
闇市も自然発生的に拡大した。
こうした中、住民の
高良一が米軍と直接交渉し、米軍の物資集積所があった新県道沿いの土地(現在のてんぶす那覇あたり)に
1948年1月ごろ、映画館「
アーニー・パイル国際劇場」を開館させた。以後、周辺は商業地として急速に発展し、新県道は「国際通り」として「奇跡の1マイル」と呼ばれるようになる。
*1945年(昭和20年)11月 - 産業復興を名目として陶器製造産業先遺隊が壺屋へ入る。
*
1946年(昭和21年)
1月3日 - 糸満地区管内壺屋区役所が設置され、復興が本格化。その後、民政府などの中央機関が那覇へ移転。
*
1949年(昭和24年)
12月9日 - 米軍政官が「那覇を沖縄の首都とする」と発表。
*
1950年(昭和25年)
8月1日 - 島尻郡
みなと村を編入。
*
1954年(昭和29年)
9月1日 -
首里/首里市及び島尻郡
小禄/小禄村を編入。
*
1956年(昭和31年)-
立法院 (琉球)/立法院で首都建設法が制定され、琉球政府・沖縄の首都としての整備が開始される。
*
1957年(昭和32年)
12月17日 -
真和志/真和志市を編入。
*
1965年(昭和40年)
9月1日 - 市旗を制定する
。
*
1972年(昭和47年)
5月15日 -
沖縄返還により
本土復帰。自衛隊員の家族の住民票拒否など憲法違反の行動を取り、問題となった。
*
1975年(昭和50年)
4月1日 -
中頭郡西原町の一部を編入。
*
2003年(
平成15年)
8月10日 - 沖縄県における
戦後初の
軌道法による
鉄道、
沖縄都市モノレール(ゆいレール)が開業。
*
2009年(平成21年)
9月24日 - 老朽化した市役所本庁舎を解体し、新たに建設する(2012年12月完成予定)ため、那覇新都心の仮庁舎に一時的に移転
[ ]。
*
2010年(平成22年)
4月3日 -
那覇市営奥武山野球場(沖縄セルラースタジアム那覇)が落成
[ ]。
*
2013年(平成25年)
4月1日 - 沖縄県内で初の
中核市に移行
[ ]。
市名の由来
「那覇(なは)」の語源は、漁場を表す「なふぁ」からきている
[1998年7月4日放送の出没!アド街ック天国より]。この由来は、那覇市のサイトにも、
伊波普猷の唱えた説として紹介されている。なお、那覇を本来の表記で表すと
外字にあたるため、
那覇市では
人名用漢字を使用している。本来、「那」は左側の2本の横線を縦線の右まで突き通し、「覇」は西の下部にある一本線がない形(
襾部/襾)になる
[昭和61年7月8日発行角川書店『沖縄地名大辞典』739項より]。
ファイル:Flag of Naha, Okinawa.svg/那覇市旗
ファイル:Symbol of Naha, Okinawa.svg/那覇市章
行政
*市長:
翁長雄志(おなが たけし)
*副市長:仲村家治・与儀弘子
*市の日:
7月8日
歴代市長
{/ class="wikitable" style="text-align:center;"
! 期 !! 氏名 !! 就任年月 !! 退任年月
/-
/市長代理
/山城正馴
/1921年5月
/1921年9月
/-
/1
/
当間重慎
/1921年9月
/1923年9月
/-
/2
/麓純義
/1923年12月
/1925年7月
/-
/3
/
岸本賀昌
/1925年10月
/1928年2月
/-
/4
/小嶺幸慶
/1928年3月
/1931年7月
/-
/5
/
照屋宏
/1931年8月
/1935年8月
/-
/6
/
金城紀光
/1935年8月
/1939年8月
/-
/7
/
当間重剛
/1939年9月
/1942年12月
/-
/8
/
崎山嗣朝
/1943年3月
/1944年7月
/-
/9
/富山徳潤
/1943年3月
/不詳
/-
/臨時市長
/兼島景義
/1945年4月
/1945年7月戦死
/-
/10
/
当間重剛
/1946年4月
/1946年6月
/-
/11
/東恩納寛仁
/1946年7月
/1948年2月
/-
/12
/仲本為美
/1948年3月
/1949年11月
/-
/市長代理
/賀数世隆
/1949年11月
/1949年12月
/-
/13
/
当間重民
/1949年12月
/1952年2月
/-
/14
/
又吉康和
/1952年3月
/1953年9月
/-
/15
/
当間重剛
/1953年11月
/1956年11月
/-
/16
/
瀬長亀次郎
/1957年1月
/1957年11月
/-
/臨時市長
/東江誠忠
/1957年11月
/1958年1月
/-
/17
/
兼次佐一
/1958年1月
/1962年1月
/-
/18-19
/
西銘順治
/1962年1月
/1968年10月
/-
/20-23
/
平良良松
/1968年12月
/1984年11月
/-
/24-27
/
親泊康晴
/1984年12月
/2000年11月
/-
/28-30
/
翁長雄志
/2000年12月
/(現職)
/}
市民意見提出制度
市民生活に広く影響を及ぼす市の計画や条例などを立案するにあたって、那覇市民に対しこれらの案の趣旨や内容などを公表し、それに対する意見を広く募集する制度を設けている。また、その結果も公表している。
従来は
パブリックコメントとして試行していたものが手直しされ、2005年(平成17年)度より現行制度としているものである。
[[http://www.city.naha.okinawa.jp/collabo/iken/ikenteishutuseido.html 市民意見提出制度] - 那覇市(2013年5月21日閲覧)]
=行政区画=
市域面積の -->km²に対して、人口密度は / -->--> -->人/km²(現在)で、都道府県庁所在地では
東京特別区( / 621.81 -->--> -->人/km²、現在)、
大阪市( / -->--> -->人/km²、現在)、
横浜市( / -->--> -->人/km²、現在)に次いで4番目に高い。
なお、面積は全国の都道府県庁所在地では最小である。(
東京都新宿区を1つの市と同格と見なせば2番目に小さい。)
=市町村合併=
いわゆる
日本の市町村の廃置分合平成の大合併/平成の大合併においては、
南風原町および周辺離島の
渡嘉敷村・
座間味村・
粟国村・
渡名喜村・
南大東村・
北大東村による枠組みで任意協議会が設置され検討が行われた
[(広報はえばる 2003年7月号) - 南風原町(2013年5月21日閲覧)]が頓挫し、同協議会も2003年11月4日をもって解散した
[[http://www.city.naha.okinawa.jp/service_osirase/gappei/ 那覇市・南風原町・南部離島村合併任意協議会解散の経緯について] - 那覇市(2004年6月22日更新、2013年5月21日閲覧)]。なお、上記の町村はいずれも、平成の大合併においては合併の選択を取らなかった。
*
1950年 島尻郡
みなと村を編入。
*
1954年 首里/首里市及び島尻郡
小禄/小禄村を編入。
*
1957年 真和志/真和志市を編入。
*
1975年 中頭郡西原町の一部を編入。
=市議会=
議員定数40(2009年改選前44)
*議長:永山盛廣
*副議長:翁長俊英
'''会派別勢力'''
*
自由民主党 (日本)/自民・無所属・改革の会:9人
*
自由民主党 (日本)/自民党・新風会:7人
*
公明党:7人
*
日本共産党:5人
*
民主党 (日本 1998-)/民主党:4人
*
社会民主党 (日本 1996-)/社沖縄社会大衆党/社連合:3人
*
そうぞう:3人
*
無所属:1人
*欠員:1人
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